「〇〇すべき」から解放される

「○○すべき」という見えない圧力

 

人は生きていくうえで、さまざまな「選択」を求められます。

そんな選択を迫られる人生において、「当たり前」・「一般的」・「普通」などと言われる道を行くことが

多くの人にとって “ 幸せ ” であると思われ、求められます。

その道から外れていると、「どうして?」「なんで?」と聞かれたり、“ 幸せ ” ではないように思われることもあります。

それもこれも、多くの人の中にある『○○すべき』という見えない思いが存在しているからです。

とくに日本人は、小さい頃からの教育として「みんなと同じ」ことが求められてきました。

はみ出すことは許されず、みんなが同じ方向を向くように指導されます。

みんなと違う考えや思いを持っても、それを表明するのは難しい環境に置かれるのです。

そんななかで育った人間達は、当たり前のように「みんなと同じ」方向に向かって、人生を歩いて行きます。

人生において迫られる選択において、みんなと同じ道を選ぶのです。

選ぶというより、その流れに身を任せるといった方がいいかもしれません。

「○○すべき」というみんなと同じ道は、誰にとっても幸せな道だと思われているのです。

 

 

「○○すべき」は本当に “ 幸せ ” か?

 

しかし、そんななかでもその道を本当に自分の幸せなのかと考える人もいます。

その人たちにとっては、「みんなと同じ」道が必ずしも幸せでない、ということもあります。

「○○すべき」という考えが当たり前に求められ、世間的にもその道を行くことが “ 幸せ ” だと思われている日本では、

違う道を歩いて行こうとするのには、少々厳しい目を向けられることになります。

小さい頃から教育を受けた「みんなと同じ」でなければならない、というすり込まれた考えによって、

違う道を行こうとすることに迷いを生じさせます。

しかし、自分の “ 幸せ ” とは何でしょうか?

すり込まれた「みんなと同じ」という考えに従って、「みんなと同じ」人生を歩くことが本当の “ 幸せ ” でしょうか?

もちろん、それを “ 幸せ ” だ!と思う人が多くいるでしょう。なぜなら、それが一般的といわれるものだから。

でも、ほんの少しでもそこに疑問を持つのであれば、考えてみませんか?

自分の本当の “ 幸せ ” は何だろうか?と。

 

 

「○○すべき」は大切な考え

 

自分の人生は自分のもの。でも自分だけのものではありません。

自分のものでもあり、大切な誰かのためでもあります。

自分が本当に “ 幸せ ” だと思う道を行こうとする時に、自分だけの考えや思いで進んで良いのでしょうか。

大切な誰かのために、「みんなと同じ」道を選択することもあります。

結果それが自分の “ 幸せ ” だったと、あとから思うこともあるでしょう。

人生の道は進んでみないと、分からないことがたくさんあります。

それでも、進んだ道を選んだことを後悔しないためには、自分の意志で「選択」することです。

 

自分の考えや思いはとても大切です。しかし、それが誰かを傷つけたり、大切な人を困らせたりすることがあってはいけません。

自分の考えや思いを貫くには、周りの大切な人たちの理解があってはじめて成り立ちます。

決して自分本位でなく、人を大切に出来る道を、自分が本当に “ 幸せ ” な道を、歩いて行きましょう。

 

 

「○○すべき」から解放される

 

「○○すべき」という世間的な考えが、まだまだ日本では当たり前になっています。

しかし、「○○すべき」だからといって選んだ道は、本当に後悔しないのでしょうか。

自分の人生の決断を、世間一般に任せていいのでしょうか。

大切なことは、自分が「どうしたいか」なのではないでしょうか。

一度しかない人生、前向きな選択をして、楽しい日々を過ごす。それだけでも “ 幸せ ” を感じられるのではないでしょうか。